2015年3月30日月曜日

靴磨きとかゾウリとかガンマ波とか

nityaまだ生きています。靴磨き、やるといいなと思ってずっとしていなかったのをやった。スッキリ。ビルケンシュトックのボルドー色のBonn。

それにしても何であんなにツンとした刺激のあるきつい匂いがするのだろう。頭が痛くなるし、胸がむかむかしてくるし。不安な気持ちになってくるのは私の精神的なクセとしても、いつも喜んで磨きたくなるようなものではないんだよなぁと考えていた。靴が大事じゃないわけじゃない。大好きだし、長く履きたいと思っているのに、何でかな。

いろいろ深く考えないで靴磨きセットをひと揃えして、しかもブランドものがいいと思って立派な(にみえる)ゴージャスなパッケージのフランスのメーカーのものを奮発したのだったけど、いま思ってみると、なんかいろいろが、まぼろしって思う。

お肉を食べなくなってから、革のものも本当はいらないって思ってる。革のバッグは止めた。けれど革靴止めていないんだ。普段はビーチサンダルとかミサトっこ草履とか履くようになって、すごく快適。冬でもゾウリ履いて外を歩いても、あんまり寒くないことを発見したんだ。沢山あるけば、ものすごくほかほかしてくるし、蒸れないから冷えとり靴下の重ねばきしても冷えてくるみたいなのが、裸足のくせにないのは、発見だよ。もちろん氷点下のなかじっとしてたり、雨が当たったりすれば冷たいよ。それは普通のこと。ただ、街へ出たりするときにビーチサンダルとかでは行けないっていう気持ちになって、革の靴を履く。その自己矛盾も、ひっかかってる。自分次第、なのかもね。いろいろなことを許すと、見えてくる。

そういえば、こないだの生玄米ヨーグルトから匂ってきた“セメダイン臭”は、『酸膜酵母が作り出す酢酸エチルというエステル』だそうで、『低分子量のカルボン酸エステルは果実臭をもち、バナナマンゴーなどに含まれている』というから、ぐっと身近に感じるし、愉快になってくる。うんちの中に人間がおいしいと思う匂いの成分あの靴磨きの成分もそんな感じだったらいいのだけれど。

そういえば、と別展開するけれど、google画像でダライラマの写真を探しているときに見た不思議な写真がきっかけで読んだ記事で、アガペー・ユリイカ瞑想というのを知った。

「あ!わかった!という閃きのときに出る脳波“ガンマ波”がおきて、左側前頭葉にある「幸福を感じる回路」が劇的に活動するようになったとか。その瞑想法とは、「他者の幸せを心のなかで願うこと」だという。確かに思い当たることがあって、新しい習慣として毎晩皆の幸せを祈る、それをした日は、しみじみと幸せに眠るなと思う。わたしがこれまで試してきた瞑想では、この上ない気づきや愛の発見を得たものの、あまりの重さに耐えられないことがあって、瞑想すること自体が追いつめるようで、決意をしないでは望めないことが多かった。安全地帯が育たずに生きてきて、自ら築いたものを捨ててしまったことから、自分の境遇に恐怖と不安を感じる堂々巡りをしていた。瞑想と出会って2年経って、どれだけもしてこなかったようにも思うけれど、それは恐怖に支配されていたからなんだ。ヨガも瞑想も悩みながらしていないなりに、蓮華座で座れるようになってきたのだから、実行することと時の果実を得てる。自分で幸せを生み出したいね。

0 件のコメント:

コメントを投稿