2014年9月6日土曜日

インドに帰ってからのコンポスト考(2)

 日本では、ごみ回収システムが確立されているものの、それが果たしてゴールなのか?と疑ってみよう。ただ《なかったこと》にしているのでは、と思うことがある。目の前から消えるごみ。どうなっているのか。例えば、きわめて高い温度で何もかもをいっしょに燃やす焼却炉を持つわたしの住む市のごみに対する意識は、田舎なのに、残念ながら低いといわざるを得ないだろう。司書として働いていたときに持ち込まれた、《段ボールコンポストでの失敗に対する悩み》に対して、応えられる資料がなく困った。資料がないならノウハウを知っているひとを探そうと、活動実績の手がかりを市役所に求めた。どうやら近隣の市町村では活動があるのに、当時、わが市にはなかった。電話で対応した環境課の職員は、ひとのよさそうな声で「あー、そういうのあるらしいですね。うちの市ではとくにやってないんですよ。なにか分かったら、やり方教えてくださいね。」と言った。「なにか分かったら、お知らせします。」っていうのを期待してかけたけれど、現実は頼ることができなかった。これはわたしがやってみるしかないと思ったのがきっかけで、それまで興味のなかった《段ボールコンポスト》を始めた。始めてみると、小さな箱のなかで、立派に循環が繰り広げられていくではないか。いれてもいれてもいっぱいにならない、摩訶不思議な、すてきな箱であった!

 前置き(そう、前置きなんです)が長くなったが、『生ゴミ』を捨てるのが苦痛になったわたしは、すぐに《段ボールコンポスト》を思い出した。しかし、いつまた旅に出るかもしれないと思い二の足を踏んでしばらく苦痛が続いた。部屋から裏山にスイカの皮をえいやっと何度か投げてみたりもしたが、「いま何してたの?」と家族に聞かれたりして、ドギマギ。胸を張ってスイカの皮を自然に還したい…。また旅に出るそのときには土に埋めてやればいいのだとアハが起きて(こんなことを迷うくらい、精神がヒヨヒヨとしている)やっぱり考えていちゃいけないと、再開。これまた、ドラマが繰り広げられた。

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